ライブレポート

2012/9/10 更新

僕らの意識はリアルとアンリアルの間の壁をスルリとすり抜けて
フィクションの世界に入り込んでいった

昔、「……と、日記には書いておこう」というフレーズが流行ったことがある。そのフレーズを使いたいがために日記を書き始めたのだけれど、そのフレーズを使うまで続かなかったという三日坊主が日本中に出現したりもした。

日記を続けることが難しいのは、ひとつには書き留めるほどのことが毎日起こるわけではないという現実がある。ゴルゴ13だってジェームス・ボンドだって、あるいは橋下徹大阪市長だって、1年365日、毎日シリアスでスリリングな、もしくはセクシーでエキサイティングな時間を過ごしているはずもなく、だから日記帳を開いてはみたものの、“今日はとくに書くことはないな”という日がきっとあるだろう。そんなとき、ゴルゴ13やジェームス・ボンドなら無表情に日記帳を閉じるのだろうが、彼らほどにクールな生き方をしていない人のなかには、自分の日記帳のなかの今日という日の空白を寂しく感じる人がいるだろう。そして、そういう人はその寂しさを思い出したくないから、その翌日もその翌々日も日記帳を開くことを億劫に感じるだろう。日記を続けることの困難は、自分の人生を冷静に見つめることの困難に通じている。

もっとも、毎日のように“事件”めいた出来事に遭遇する人であっても日記を続けることはなかなかに難しい。それはおそらく、日記には宛先というものがないからではないか。厳密に言えば、自分という宛先に差し向けられていると言えなくもないけれど、それにしても日記に書かれたことは密やかにその場に留まっている。愛しい人への思いを熱烈に書き綴った一文でさえ、日記である限りにおいて、どこにも届けられることはないし、だからそこに込められた思いがどこかに通じることもない。つまり、日記を続けることの困難は、通じることのない思いを心のうちに抱え続けることの身悶えするような切なさに似ていると思う。

そんなふうに考えていくと、Chageの歌は、日記に書かれた文章とは対極にあると言えるかもしれない。なぜなら、たとえ独白のようにつぶやかれたものであっても、Chageが歌う歌に宛先のない歌はないからだ。それどころか、彼が歌うと、歌はその宛先に向けて真っすぐに飛んでいって、その宛先のいちばん深いところに入り込む。そして、その歌を受け取った人は、つまりいちばん深いところに入り込まれてしまった人は、だからこそChageと通じ合うことになる。

横濱茶会の野心は、密やかに留まる日記の言葉と真っすぐに飛んでいく歌の言葉、そんな2種類の言葉を縦糸と横糸にして新しい物語を紡ぎ出そうというのである。野心と言うにはロマンティックに過ぎるにしても、Chage自身のやんちゃで真摯な気質の故に生まれたものであって、果敢な試みであることは紛れもなく、それ故に初日に立ち会った聴衆たちは幾分かの緊張も感じながらその物語の行方を見守ることになった。

それはちょっと不思議な体験だ。

Chageの歌と日記を朗読する女性の声が交差するステージ上は一種の劇空間で、つまりはフィクションの世界になっている。でも、Chageの歌声はあくまでもリアルで、確かな温もりを感じさせるから、僕らはいつものように彼の歌と通じ合う。その結果、僕らの意識はリアルとアンリアルの間の壁をスルリとすり抜けてフィクションの世界に入り込み、日記に綴られた明治時代からの100年の時の流れを、同時代的な共感とともにたどることになるのだ。大正ロマンの世界に心をときめかせ、関東大震災や戦争の時代にも心塞ぐことなく、戦後の復興のなかで新しい希望を抱き、繁栄の時代に自分なりの安らぎを見出す。だから、このステージで生み出される新しい物語は、時の流れという縦糸と暮らしを積み重ねていくことの共感という横糸で紡がれるものでもある。

日記の言葉は密やかに留まる、と先に書いた。が、その言葉がステージ上で歌の言葉と何度か行き交った果てに、朗読の女性が「いつかここから旅でもしてみたい」という言葉を口にするとき、日記の言葉もその思いが届けられるべき宛先に飛んでいくような気がする。新しく紡がれた物語は、時間も場所も越えて届けられるはずの、そして受け取った人の心の中でゆっくりと味わいを深めていく言葉たちの連なりだ。つまり、密やかな日記の言葉は僕の言葉になり、横濱の物語はあなたの街の物語になる。

アンコールに登場したChageの晴れやかな表情を見ながら、アンリアルな物語の世界からリアルな赤レンガ倉庫の客席に帰還している自分に気づいた。2時間ほど、僕はおそらく旅をしていたのだろう。その旅先で、また新しいChageの一面を見たような気がする。いや、確かに見たのだけれど、でもそれは夢の中の出来事のような感触の記憶で、だからその感触のままにしておきたいのだ。

確かな出来事の曖昧な感触。言葉にするのは難しい。だから、「横濱の夜よ、もう一度」とだけ、日記には書いておこう。

音楽ライター 兼田 達矢

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